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![]() (2) 受話器を置き、オラトリオは軽く、溜息を吐いた。これで3度目だ。もう、大分、遅い時間なのに、オラクルは帰って来ていない。 ――師匠の所にでも、行ってるのか が、それは考え難かった。週末でも無いのに、コードのマンションや、妹達の住む家に泊まるとは思えない。 ――何かあったんで無きゃ、良いが… オラトリオは不安を覚えた。部屋には戻っていないし、携帯の電源は切れたまま。何かが、起きたとしか思えない。 オラクルが一人暮らしを始めてから、オラトリオはずっと、心配していた。最初の頃は、しょっちゅう、オラクルのマンションを訪ねた。それで余り、世話を焼きすぎたので、オラクルの機嫌を損ねたのだ。 ――構わないでくれ… 眼が見えないからと言って、特別扱いされる事をオラクルが厭がるのは、判っていた。それでも、出来る事が限られているのは事実だ。それに、身体が弱い。 ――熱だして、どっかで倒れてるって訳じゃねえだろうな そう思うと、オラトリオは居ても立ってもいられなくなった。コートを掴み、外に出た。 「__やはり…あなたはオラトリオを想っているのですね」 オラクルの肩から手を離し、クオータは言った。オラクルは黙ったまま、俯いた。クオータは、オラクルに横になるよう、言った。オラクルが応じないので、身体を冷やさないよう、カーディガンを羽織らせた。 「私が余計な事を言っていると、あなたは思っているのでしょうね。でも私は、あなたを不幸にしたくないのです」 「…不幸に…?」 怪訝げに、オラクルは聞き返した。 「オラトリオは全てに恵まれている__そうではありませんか?私は1度、見かけただけですけれど、1度、見れば充分です。あなたの従兄弟が容姿に恵まれている事を、あなたは知っていますか?」 黄金の髪。紫水晶の瞳。どんなにか奇麗だろう。でも、見る事は叶わない。それでも、色の概念は判る。どんな色か、大体の想像はつく。それにオラトリオは背が高く、引き締まった身体だ。文武両道を人並み以上にこなし、美しい声を持ち、色々な事に器用だ。それでいて奢り昂ぶる事は無く、優しく、面倒見が良い。 まるで、理想を具現化したかのような存在。 ――オラトリオは何でも出来る。私と違って… 「あの人を想う人は、幾らでもいると思いませんか?そういう相手を想っても、報われる事は少ないと、そう、思いませんか?」 「…報われようだなどと、思っていない…」 言ってしまってから、オラクルは後悔した。こんな事、クオータに話すべきでは無い。 「それでは、幸せとは言えませんね。私ならば…あなたを決して不幸にはしません」 クオータは、オラクルの華奢な手に、自らのそれをそっと、重ねた。 「初めてあなたを見かけたとき、運命だと思いました。あなたの様な人と出会えるのを、ずっと待っていましたから」 「…私の様な…?」 怪訝げに、オラクルは聞き返した。クオータは、オラクルの手を取り、自分の右頬に触れさせた。その感触の異様さに、オラクルは僅かに眉を顰めた。 「子供の頃の、火傷の結果です。顔の右半分は見られたものではありません。誰もが、眼を背けます」 淡々と、クオータは言った。その口調の穏やかさに込められたルサンチマン(怨恨)が、今、はっきりと感じられる。オラクルは、背筋が寒くなるのを覚えた。 「…私ならば、見る事は無いから…」 「そうです。あなたならば、眼の遣り場に困って、顔を背ける事はしない。それに…あなたも傷を負っている。身体にも心にも__」 私たちは、似ていると思いませんか? オラクルは、クオータから手を離した。悪夢が、形の無い恐怖が蘇る。クオータにもトラウマがあるのだ。表面上の穏やかさと丁寧さは、傷を隠す仮面だ。生半可な同情で、傷に触れられたく無い。だから、それを隠し、周囲の者の心を遠ざけようとする。 それでも、孤独に耐えられなくなる時がある。誰も寄せ付けたくない__誰かにいて欲しい。矛盾した想いに、苛まされる時が。 「心の傷は、それを負っている者にしか理解できません。オラトリオでは、あなたを理解できない」 「…止めてくれ…」 オラクルは、両手で耳をふさいだ。 取り敢えず、オラクルのマンションに行くと、灯かりが点いていた。オラトリオはほっとし、チャイムを鳴らした。が、ドアを開けたのはオラクルでは無かった。 「師匠…」 「お前も、オラクルを探しに来たのか」 コードの言葉に、オラトリオの不安が増した。コードの所にも、妹達の所にも行ってはいない。誰のところにも、何の連絡も無い。 コードは、オラクルから同じ大学に通う何人かの電話番号を聞き出していた。手帳を見せられ、オラトリオは彼らに電話した。2人目が電話に出、その日、オラクルが倒れた事、クオータが送っていった事を聞かされた。 「クオータだと?」 「知ってるんすか、師匠」 「オラクルにつきまとってる男だ。気を許すなと、言ってはおいたが…」 オラトリオは、オラクルの隣の席に座っていた青年を思い出した。片眼鏡と、端正な顔立ちの左半面。そして、それゆえに目立つ右半面の火傷跡…。 「あの野郎、オラクルにつきまとってたんすか」 たまたま、隣の席だった訳では無いのだ。 「はっきり迷惑だと言って拒絶しろと言っておいたがな。あれの性格では…」 「とにかく、そいつの家を突き止めやしょう」 「すみません、オラクル…。あなたを、苦しめたい訳では無いのですよ」 そう、クオータは言った。 「ただ…誰にでも相応しいと言える相手がいる__そう、思いませんか?」 「…私が…オラトリオに相応しく無い…と…」 オラクルは、毛布の端を握り締めた。その手に、クオータは自分の手を重ねた。 「そんな風には言っていませんよ。あなたは本当に奇麗だし、とても優しい…。でも、あなたを愛するのは、たやすくは無いでしょう。もし、少しでも心変わりすれば、あなたが重荷になってしまうのが判っているから…」 ――負担にはなりたくない。重荷にはなりたくない。そのひとを想えばこそ… 「私ならば、決してあなたを裏切りはしません。私ならば、あなたを理解する事ができます。そしてあなたならば__」 「止めてくれ」 そう、オラクルは言った。さっきよりは、はっきりした口調で。 「それでは…ただの傷の舐め合いだよ。お前は…私を理解なんかしていない」 クオータは、オラクルの両腕を掴んだ。驚き、オラクルが顔を上げたので、視線が合った。 「私を拒まないで下さい。私はずっと、あなたを待っていた。あなたに拒まれたら、私は…」 オラクルは、再び強い、不安を覚えた。クオータの、強い情動が感じられる。 「拒まないで下さい、私を…」 穏やかさに隠された怨恨。丁寧さに隠された孤独。心の傷が、今も血を流している。それが、オラクルには感じ取れた。 「__誰かに…拒まれたんだね」 静かに、オラクルは言った。クオータの手から、力が抜ける。 ――見たくない、こんな、化け物のような顔なんて… 醜い火傷を負った幼い我が子を捨てるように、家を出ていった母親。彼には、決して笑顔を見せない妹。 誰もが、目を背ける。 子供の頃、受けた、残酷なからかい。そして、それよりももっと、残酷な憐れみ__ 「…あなたも…私を拒むのですね…」 オラクルから手を離し、呟くように、クオータは言った。 「拒んでは、いないよ。いつか…お前を理解する事が出来れば良いと思う…」 「心にも無い事を言わないで下さい。憐みなど要らない」 「…私もだよ」 そう、オラクルは言った。そして、哀しげに微笑んだ。 夜更けの訪問者に不審に思いながら、クオータはドアを開けた。が、そこに立っていた2人には、驚かなかった。来るならば、その2人しかいないと思っていたから。 「オラクル、無事か?」 クオータを押しのけるようにして上がり込むと、コードは言った。 「…コード…?」 「全く、何故、俺様に連絡しなかった。心配させおって…」 オラクルは、不思議そうに何度かまばたいた。 「…どうして、コードが此処に__」 「お前が連絡を寄こさんから、捜す羽目になった。心配させまいとしたんだろうが、却って心配になるのが判らんのか、この馬鹿たれが」 オラクルは、反論しようとして止めた。そして、素直に謝る。 「…ごめん、コード」 「…まあ、良い。動けるようなら、帰るぞ」 口調を和らげ、コードは言った。 「車まで、俺が運ぶぜ」 「オラトリオ?__どうして、お前まで…」 驚いているオラクルに、オラトリオは微笑んだ。 「お前の事を心配してんのは、師匠だけじゃ無いんだぜ。忘れてもらっちゃ困る」 「オラトリオ…」 クオータは、オラクルが優しく微笑むのを見た。そして、オラトリオの腕に抱き上げられ、安堵しきっているように、相手の首に腕を回すのを。 「オラクルに、近づくな」 琥珀色の瞳で眇め、コードはクオータに言った。 「コード…。そんな言い方、しないでよ。私を介抱してくれたのに」 「お前は甘い。親切ごかしていても、下心が見え見えだ。気を遣う事なんぞ、無い」 オラクルは、軽く溜息を吐いた。 「ごめん、クオータ。そして、ありがとう」 「__いいえ…私こそ…」 コードは不満そうだったが、それ以上は何も言わなかった。不満といえば、オラクルがオラトリオに抱き上げられているのも不満だ。が、この場合は仕方あるまい。華奢な弟だが、兄より背が高いのだ。 「重くない?」 オラトリオの耳元で囁くように、オラクルは聞いた。 「ぜ~んぜん。お前、ちゃんと食ってんのかよ」 「…その積もりだけど…」 「だったら倒れたりしねえだろうが。ったく、今度、飯、作りに行くからな」 ――どうやら…私の入り込む隙間は無いようですね。残念ですが… 去ってゆく3人を、片方だけの碧い瞳が見送っていた。 ――でも…まだ諦めはしません。諦めは愚か者の結論__そうでしょう、オラトリオ…?
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